妊婦の苦悩も知らないくせに
職場の師長には心拍確認後、
「妊娠しました。またご迷惑おかけしますがよろしくお願いします。」
と伝えた。
師長からは「そっかそっかー。よかったね。でも、前回ので有給ほとんど使っちゃったから、もう残りほとんどないからね。」と言われた。
は??
休むなってこと??
有給ないから、なに??
モヤモヤが募る。
身体大事にね、とか、今回こそは無理しないようになんでも言ってね、とか、そういう言葉はかけてくれないの??
夜勤免除についても「今さ、夜勤できない人2人いるし、家庭の都合で夜勤減らしてほしいって人もいるから、夜勤もなー。申し訳ないけど月2,3回はできる?」と、やる前提で話が進む。
「いや、あの、これからの体調見て決められませんか?急に夜勤休むと言ってもみなさんにご迷惑おかけしますし。」
なんでこんなことまで気を遣わなきゃいけないのか。
管理職はいかにスタッフを駒としてしか見てないのかよくわかって悲しくなった。
言いたくないけど、師長は結婚もしてなければ妊娠もしたことないから、分かんないんだろうけどさ。
はあ。
悲しくなる。
つわりはますますひどくなり、家か職場でゲエゲエ吐く毎日。
吐かない時でも空腹になると、舌圧子で舌の奥を押されてるようなオエっとした感覚に常に襲われ、排泄物や下膳車のニオイ、休憩室でもみんなが食べてるいろんな食べ物のニオイが混ざった空気にえずく。
誰にも妊娠のことは言えないまま、立ちっぱなしだとお腹も張るので、体調を見ながら自分なりに仕事のペースを配分し、休みながらなんとか乗り越えていた。
世間はシルバーウィーク。
だか、4連休も毎日日勤で出勤していた。
旦那が毎朝職場まで送ってくれたのが本当に救いだった。
帰宅すると、旦那の大阪のじいちゃんから霜降りのお肉が届いていた。
じいちゃんにお礼の電話をすると「夏バテに負けないように送ったんや!美味しく食べてなー!」と元気な声が聞こえて、うれしかった。
そして、旦那から「今日実家にも行ってきたんだけど、うちの親父も、やっぱり仕事休んだ方がいいってさ。なんとか休めないの?」と言われる。
「いや、休めるなら休みたいよ、そりゃ。でも休めないからこうやってなんとかやってるんじゃん。」と不機嫌に返す。
「それはわかるけどさ、でもこっちは命なんだよ?そんなに仕事休めないのって、その職場、変じゃない?」
カチンときた。
「それお義父さんから言われたの?わたし、電話する。」
「いや、いいって、電話なんかしなくって。」
制止しようとする旦那を無視して、義実家に電話をかけた。
「もしもし、すっかりご無沙汰してしまってすみません。お盆も仕事で顔出せなくてすみませんでしたー。」
「おお、ほんとにご無沙汰だよー。ところで淳から聞いたよ。あのさー、ほんとにこればっかりは大事な命なんだからさ、仕事どうにかならないの?」
「そうなんですよねー。ただ、職場も人が少なくて、決められた人員配置ギリギリでやってるんです。患者さん何人に対して看護師何人配置ってのが決まってるので、休むとなると欠員補充しなくちゃいけないし、で。なかなか休めなくて。」
「それはわかるけどさ、でも、命だよ?
そしてあんたの身体なんだしさ、ここで無理してまた流産したらクセになっちゃうよ。
子供産めなくなっちゃってから後悔して欲しくないからさ。だから休んだら?
休めば元気な赤ちゃん産めるとは限らないけど、動き回ってることがいいことではないことくらい分かるでしょ?」
反論する気もなくなった。
そんなの押し付けだろ。
「はあ...。そうですね。すみません、いろいろご心配おかけして。」
「そりゃ義娘の身体だもん、心配するさ。
それでも休ませてくれないなら『じゃあ辞めます』だっていいんだしさ。
看護師なんて、正直どこだって働けるでしょ?
淳の稼ぎでなんとかなるんだから、ここは淳に任せてさ、仕事なんて辞めちゃいなよ。
生活はなんとかなるんだから。」
黙って聞いてたけど、途中から涙が出てくる。
前回流産したのはわたしが無理したから?
次の流産は許さないからってこと?
次流産したらわたしのせいなの??
忠告したのに仕事辞めなかったお前のせいだってこと?
休みたくても休めない中でなんとか折り合いをつけて工夫して、いろんな我慢や気遣いをして生活してるのに。
そんなことも知らないくせに。
流産がクセになる?
なにを根拠にそんなこと言ってくるわけ??
別に生活が苦しいから仕事してるんじゃない。
わたしはわたしのアイデンティティのために働いている。
妊娠したらみんな仕事辞めなきゃいけないの?
わたしのキャリアは無視ですか?
あたかも「あなたのため」という枕詞をつけて、わたしのライフプランにズケズケ土足で踏み込んできて、ああしろこうしろ言われたのかとてつもなく不愉快で、悲しさを通り越して怒りに変わってきた。
妊婦の苦悩なんかなにも知らないくせに。
声を上げてワンワン泣いた。
心配して旦那が寄ってきたけど、触れられたくもなかった。
しばらくしてから旦那が「ごめんね」と謝ってきた。
「なんで淳くんが謝るの?なにも悪いことしてないでしょ?」と返すと
「なっちゃんの気持ち、全然考えてなかった」と言われた。
「わたしはあなたに言われたことが悲しくて泣いてる訳じゃない。流産のこと、お義父さんは仕事休まなかったわたしのせいだって思ってる。次も流産したらわたしのせいなんだね。」
「そんなこと思ってるわけないじゃん。なっちゃんの体の心配してるってことでしょ?」
「そんなことわかってるよ。心配してくれてることもわかってる。
けど、今のわたしにああいう言葉は辛い。仕事休めない中でなんとか頑張ってるのに、あんな風に言われたら辛い。
仕事しながら子供を持つことって許されないことなの?妊婦は仕事しちゃダメなの?
社会の中で働きたいっていう気持ちは持っちゃいけないの?
子供を持つことってそんなに最優先で重要なことなの?」
旦那は黙り込んだ。
それからもしばらくわたしは泣いた。
旦那がスッと抱きしめ、「ごめん。俺はなっちゃんが居てくれるならそれだけでいいよ。」と言ってくれた。
こんなこと言わせるわたしは最低だ。
自己嫌悪に陥る。
旦那に申し訳なさすぎて、情けない思いでいっぱいになった。
でもこうしないと、もう自分の精神は保たないくらいグラグラの状態だった。
さっきの、じいちゃんの「いい肉食べて元気つけてやー!」の声がこだまする。
第三者はそれくらいの距離感でいてほしい。
2回目の妊婦生活
流産から1ヶ月後、無事に生理が来た。
生理後は妊活を再開しても良いと言われていたが、あまり細かいことは気にせず、努めて穏やかに生活していた。
旦那はより優しく接してくれていて、体調を気遣いながら普段の生活に戻っていった。
そんな中、次の生理は、来なかった。
なんとなく予感は的中。
流産後2ヶ月でもう一度赤ちゃんを授かることができた。
前回の流産の経緯もあったので、妊娠検査薬で陽性が出てから、2週間後に受診。
6w4d、胎嚢も心拍も確認できた。
茶色いおりものは相変わらず出ていたが、いつもおりものシートに付着する程度で、「まあよくあることらしいし」と気にせずに生活をしていた。
7w4d、旦那は出張で1泊不在だった。
その日の前日は夜勤で、夜勤中も腹部の張りを感じながらも休憩時間以外は休むことなく働いていた。
帰宅してからも、軽いチクチクした腹痛があるなー程度の自覚症状だけだったが、トイレに行ったらおりものシートにべったりと真っ赤な血餅がついていた。
中からドロっと垂れてくる感覚もあり、慌ててナプキンを当てた。
まさか。
また流産してしまうのか。
嫌な感覚に襲われる。
あいにく産婦人科は休診だったため、トイレ以外はベッド上安静にし、翌日朝イチで受診。
先生から「え?また出血したの?」と言われる。
また?って。
わたしだって好きで出血してるわけじゃないのに。
シュンと気持ちが落ちる。
内診すると、子宮内に血が溜まっていることが分かり、胎嚢の外側に血腫がはっきり写っていた。
「まあ、流産するかもしれないけど、一応初回の検査一通りやるから。」
一言一言がグサグサと刺さる。
流産するかもしれないとか軽々しく言わないでほしい。
一回流産を経験してるんだから、いかに怖いことか悲しいことか、分かってるから。
あかちゃんは元気いっぱいで心拍も正常。
1wで4倍ものCRLになっていた。
妊婦のメンタルはブレブレで、常にネガティブなことを考えてしまう。
もう、疲れたよ。
みんなこれ以上責めないで。
わたしはどうしたらいいの。
前向きに
里帰り分娩を希望していたため、母子手帳交付と同時期に分娩先を探すよう言われていた。
新型コロナウイルスの影響もあるので、早めに動いた方がいいと言われたため、7週頃に予約を取っていた。
その病院へ流産したため予約をキャンセルしたいと電話を入れる。
「あー、そうだったんですね。キャンセルしておきます。お大事になさってください。」
電話口で淡々と言われた。
スケジュールアプリから、分娩予定日、里帰り先の初診日、産休の3項目を消す。
ああ、やっぱり流産してしまったんだと悲しくなる。
そんな中で、一つずつ流産後の手続きをこなしている自分もいて、私ってなんだか現実主義で冷たい人だなと思ってしまう。
そろそろ割り切って考えられるようになるのかな。
通勤バッグに付けていたマタニティマークも外し、しばらくぼーっと見つめる。
マタニティマークつけてたけど、席譲ってもらったことなかったな。
どうにもしんどくて優先席に座ったときに、免罪符のようにバッグの上に置く程度の使い方しかできなかった。
これからは妊婦さんには率先して席を譲ろうと思う。
同じ女性といえど、妊婦の身体的なしんどさ、辛さはやっぱり体験してみないとわかり得ないことだった。
母子手帳ケースもあれこれ迷ってたけど、急いで買わなくてよかったな。
マタニティマーク、母子手帳、健診ノート、今までのエコー写真を全てを一まとめにしてポーチにしまう。
5w1d
妊反(+)、GS not clear
7w0d
GS 12.4mm、CRL 2.0mm、FHB(+)
GA 4w3d
7w5d
GS 12.8mm、CRL 5.9mm、FHB(+)、FHR 123
GA 4w4d
7w6d
GS 測定せず、CRL 6.4mm、FHB(+)、出血(+)
9w0d
自然流産
改めて見返すと、在胎日数に対してやっぱり小さかったんだなーと思った。
生理は不順なく来ていたのに、推定週数と3wも差がついてしまっていた。
やはり染色体異常だったのかも、と考えるようにするが、赤ちゃんのせいにしていいのか、と何となくモヤモヤする。
仕事も休み、14時頃までぼーっと過ごす。
久しぶりに体重計に乗ると、4キロ近く落ちていた。
つわりも貧血も相変わらず続いていた。
それでも続くつわり
結局その日も朝方まで眠れず、睡眠時間は2時間程度しか取れなかった。
寝不足独特の頭の重さ。
そして、朝のつわりは相変わらずで、ウッとなって目が覚める。
赤ちゃんがいてこそ耐えられるつわりも、赤ちゃんがいないと分かっていると、ただの苦痛でしかない。
流産後もhCGが高いままだから、しばらくはつわり症状が続くこともあるという。
しんどいなー。
メンタルに追い討ちをかけられてる気分。
今日こそは仕事に行こうと思っていたが、ちょっと頑張れないなと思った。
流産したことはその日のうちに師長に報告した。
夕方、電話をくれた。
「家にいてもメソメソしちゃうので、明日からは仕事行こうと思います。みなさんには気を遣わせてしまうかもしれないですが、仕事している方が気が紛れるので。いろいろすみません。」
自分から仕事へ行くと宣言したにもかかわらず、連日の寝不足にプラスして朝のつわり。
ああ、これは無理だ、仕事行ってもメソメソする、と思った。
師長に「申し訳ないですが、今日だけ休ませてください。明日からは必ず出勤します。あと、流産の件ですが、とても自分からは言えないので師長さんから先にみなさんに伝えていただけませんか?」と連絡する。
はぁ。
甘えてると思われてもいいや。
自分の心を守るためにはこうするしかないや。
とにかく今日はドロドロに眠ろうと思う。
何も考えたくない。
妊娠報告してしまっていた近しい友人にも流産の連絡もしなければならない。
私の妊娠発覚と同じ時期に義姉と友人も妊娠していた。
「産まれたら同級生だね」
「一緒に遊ばせたいね」
そんなキラキラした生活しか見えてなかった。
まさか流産するなんて思ってもいなかったから、こんな悲しい話をしなくちゃいけないことが重みとなってまたのしかかってくる。
流産がこんなにも身近にあって、そしてまさか我が身に降りかかってくるなんて思ってもなかった。
でも今回当事者になってみて、妊娠出産という、世間的な幸せの象徴の影では、こんなに悲しい思いをしている人がいることに初めて気がついた。
順調に経過して出産していたら、この影に隠れている人の気持ちも考えず、私は幸せの押し売りをしてしまっていたかもしれない。
しかもかなり一方的で強引な、それでいて悪気はない悪質さのある押し売り。
人を傷つけ、信用を失ってしまっていたかもしれない。
そこに気づけたことは、今回の事は私にとって、とても意義のある事だったんだと思う。
自分とは異なる立場の人がいるということ。
センシティブになりすぎる必要はないが、そこには配慮が必要だということ。
今までの自分はいかに視野が狭かったのかよーく分かった。
でも、やっぱり羨ましいと思ってしまうだろうし、その友人や義姉の赤ちゃんを見たら泣いてしまうかもしれない。
『あの時の私も赤ちゃんも、ちゃんと育ててあげられたら今頃こうして抱っこできてたのに』
って不意に悲しくなるかもしれない。
そんな話を旦那にすると、旦那は
「そう思ったって別にいいじゃん。そんなこと思っちゃいけないってことは、ないよ。」
と淡々と言った。
街を歩くと妊婦さんや子連れのママさんがやたらと目に入るようになってしまった。
いいなー。
わたしにもいつかまた赤ちゃんが来てくれるかな。次に来てくれた赤ちゃんは、絶対抱っこしたいな。
そんなことを考えながらそそくさと買い物を済ませて帰宅する。
無事に出産できた人は、その先もいろいろ悩むことも辛いこともたくさんあると思う。
育児なんて本当に辛いことだらけだと思う。
でもどうか産まれた子は大事に育ててほしい。
あと、助けてほしい時は決して我慢せずSOSを出してほしい。
お母さん一人で抱え込まずに、時には人を頼って、頑張りすぎないでほしい。
妊婦さんは、絶対に無理はしないでほしい。
途中で赤ちゃんを手放す悲しみは誰にも味わって欲しくない。
体調がこんなにも辛いこと。
メンタルがブレブレで常に気持ちに余裕がないこと。
周囲の理解で優しくしてもらうとこんなにもありがたいこと。
妊娠して初めて知ったことが本当に沢山ある。
多少わがままでもいいから、赤ちゃんを守るのは自分だと自信をもって堂々としてほしい。
赤ちゃんをお腹で育ててることは本当に立派なこと。
だから休むことに負い目は感じないでほしい。
そして周囲もそれを心からサポートしてほしい。
妊婦さんの一番そばにいる旦那さんは、妊婦の抱えている葛藤、苦悩、不安、プレッシャー、そういうマイナスな気持ちから目を背けないでほしい。
楽しいだけの妊娠生活なんて絶対にありえない。
一喜一憂している妊婦の気持ちの波にのまれず、話を聞き、ただそばにいてあげてほしい。
時には妊婦のサンドバックになってボコボコに殴られてしまうかもしれないけれど、どうか大きな心で受け止めてほしい。
妊婦はどうしようもなく自分じゃ消化できない、正体もわからない漠然とした不安と闘っている。
そんな妊婦を見て「妊娠前はこんなんじゃなかった」と言って逃げないでほしい。
妊婦だって好きでこうなってるわけじゃない。こうしないと自分も赤ちゃんも守れないから。
それをどうか分かってほしい。
気持ちの整理
家に帰って、ベッドに横になる。
あの灰色のエコー画面が目の前に迫ってくる。
だめだ、だめだ。
考えるな。
その様子に旦那が気づき、優しく肩を撫でてくれた。
涙がまたこぼれてしまった。
「今日だけ泣いたら、あとは泣かないから。」
そう言って背を向けて声を上げて泣いた。
背中をさする旦那も泣いていた。
「本当はここ1週間、不安で辛かった。
常に不安で、誰にもこの気持ちをわかってもらえなくて、孤独で、自分じゃどうしようもなくて、とにかく辛くてもう嫌だって思ってた。
出血も止まらなかったし、こんな状態でちゃんと健康な子が生まれるのかな、もし障害があったらどうしようとか、いろんなことを考えて不安で心が折れてた。
だから、流産したって言われて、心のどこかで正直ホッとしちゃってたところもある。
子供が欲しくて欲しくてたまらなかったけど、子供を持つってことに責任とか覚悟が足りなかったんだよね。」
ポツリポツリと言葉が出てきた。
旦那は黙って聞いていた。
そして、
「俺も正直、流産してホッとしてる部分もあるよ。
こんなに出血してたし、生まれてくる子に何かあったらどうしようって思ってた。
だからそう思ってるのはなっちゃんだけじゃないよ。
今回のことは残念だけど、前向きに捉えてもいいんじゃない?
先生も『授かれるってことが分かっただけでも良かった』って言ってたし。
次って切り替える気持ちには今はならなくても、いつかまた授かれることが分かったんだしさ。
親になる覚悟なんて、そんなのみんな最初から持ってるわけじゃないよ。
とりあえず、先のことはゆっくり考えよう。」
泣きながら話す私と対照的に、旦那はいつも冷静だ。
「淳くんっていつも冷静で、その時は『結局分かり合えっこないんだ』って思っちゃってたけど、今思えば淳くんが言ってることはいつも間違ってなかった。
私は早々に舞い上がって、すぐに不安になって、全然冷静じゃなかった。」
「そりゃ俺も不安だったけど、自分のお腹に赤ちゃんがいるわけじゃないから、なっちゃんは比べられないくらい不安だったと思う。そりゃ不安が大きくなるのも仕方ないよ。
自分の体のことでもあるし。
なっちゃんと同じ目線にはなれなかったから、冷静に見えたのかもしれない。」
そうか、なるほどなと思った。
気分に左右される私に、旦那も全て共感していたら、それこそ冷静さを失って二人でとんでもない発想に至ってたのかもしれない。
夫婦二人いるのに、二人がいつも同じ目線だったら目が4つある意味がない。
時にはそれぞれが違う角度からも見ないと、問題の全体像は捉えられない。
気分で高揚したり落ち込む私からすると、旦那の態度はいつも一定で冷静、というより冷酷で無関心に見えたけれど、それが良かったのだ。
旦那も旦那なりに不安を抱え、悩み、解決策を模索していたのだ。
それなのにそんなことにも気づかないほど、私は思考のベクトルは自分の内の内に向いてしまっていた。
自分のことしか考えてなかったのは私の方だ。
静かに、冷静に、旦那は私と赤ちゃんのことをじっくり考えてくれていた。
ああ、この人はやっぱり手放してはいけない存在なんだと改めて実感した。
あんなに暴れ馬状態だった私を見捨てずに、ずっとそばにいてくれて、心からありがとうと思った。
「流産したあと、今まで迷惑かけたと思って仕事に一生懸命になって無理しちゃうだろうから、気をつけてね。」
ギクリとした。
早速明日から出勤して、今まで迷惑かけた分、仕事やらなくちゃって思っていた。
「しばらく休んでもいいと思うよ。」
「そうだね。ありがとう。そうする。」
今となっては素直に受け止められる。
多分妊娠真っ只中では
『あーもう、うるさい!やらなきゃいけない仕事もたくさんあるの!休め休めって言われても、休みを下さいってお願いするのも大変なんだよ!そんなことも分かんないくせに理想ばっかり押し付けないで!やっぱりこの人とは分かり合えない!』って思って、ピーピー泣いていたと思う。
「今回、初めての妊娠だったし、気を張って頑張りすぎたんだよね、多分。だからそんなにつらくなったんじゃない?」
「そうかもね。
私、人にお願いするのが苦手で、顔色伺っちゃうし、頼まれたら嫌なんじゃないかなって思っちゃうし、そんなことなら自分でやっちゃったほうがいいって思っちゃってた。
人を頼ることから逃げてた。
でもこれからは人にちゃんと頼ろうと思う。
助けて欲しい時はちゃんと言えるようになろうと思う。
今回の妊娠で、いかにたくさんの人に助けられたかよく分かった。
だから、人を頼ることから逃げないで、お願いできるようになろうと思う。」
「そうだね。」
今回の流産の悲しみは消えないけれど、その中でそれ以上の大切なことがたくさん私の手の中に残った。
赤ちゃんが宿るということ。
赤ちゃんが十月十日かけて育つということ。
赤ちゃんが無事に生まれてくること。
これは全て本当に奇跡なんだと実感した。
妊娠したらみんながみんな無事に出産できるわけではない。
命の大切さ
我が子の愛おしさ
支えてくれる家族や友人、職場のスタッフ
信頼できるパートナー
心から大切にしていこうと思う。
次はもっと心に余裕を持って、過ごせるようにしたい。
本当にありがとう。またね。
元気でね。
9w0d 完全流産
健診前日、母から電話があった。
「どう?大丈夫?」と聞かれた。
「いや、大丈夫じゃない。」
出血のこと、コアグラが出て怖くて産婦人科に駆け込んだこと、安静にしてても無力感に襲われてつらいこと、旦那ともギクシャクしてること、いろんな話をしてため込んでいることを泣きながら話す。
「週末、そっち行くから。弱気になっちゃだめよ!赤ちゃんも心配するから。泣くな、気持ちを強く持ってね!」
そう言われたけど、私の心はもう限界だった。
泣き場所も吐き溜めもなく、じゃあこの気持ちはどこに捨てればいいの?
強くなれって、そんなに強くなれないよ。
母親になるには泣くのを我慢しなくちゃいけないの?
もうこんなことならいっそのこと消えてなくなってしまいたい。
心が折れかかっていた。
誰も私の気持ちなんか分かってくれない。
孤独だ、孤独だ、もう嫌だ。
明日の健診も一人で行こう。
旦那に付き添い頼んだけど、「他の妊婦さんはみんな一人で行ってるんでしょ?」と言われた。
あっそう、嫌だったらもう来なくていいよ。
一人、一人、一人。
私が我慢すればいいんでしょ。
もう嫌だ。
全てやめてしまいたい。
翌日の健診のこともあり、その日の夜は朝5時まで全く眠れなかった。
翌日、当直明けの旦那から「健診行くよ」と連絡が来た。
来なくてもいいやって思ってた。
不安だったけど、この不安は自分で消化するしかないんだって、他人に対してもどこか諦めの気持ちがあった。
時間ギリギリに走って旦那がやってきた。
「ごめん、遅くなった」
旦那の顔を見たらすごくホッとした。
やっぱり来てもらってよかった。
前回の検査の結果、採血、感染症、子宮頸がんは問題なし。膣からカンジダが検出されたみたいだから、軟膏塗って様子みるように言われ、その日は内診なしで帰宅する雰囲気になった。
カルテを見て「あ、出血はどう?」と聞かれ、「実はこの土日にかなり大量に出血して...」
「え?!それはもしかしたら流れてるかもな。とりあえず診察するからね」
内診してもらえることになったが、内診台でも垂れるほど出血していた。
「出血多いな...ダメかもな...内診するよ」
超音波プローブが入ってきて、画面を見せられた。
「ここ、子宮なんだけど。前はここに胎嚢があったの。今はもう袋がないね。何もない。多分完全に流れちゃったんだと思う。残念だけど。」
何も映らないエコーの画面を見つめる。
ああ、ダメだったんだ。
ダメだったんだ。
ついこの前までは元気に心臓を動かしていた赤ちゃんがもういない。
内診台から降りてズボンを履こうと下を向くと、涙が止めどなく溢れてきた。
足が震えた。
ダメだったんだ。
さっきの何も映らない灰色一色のエコー画面が目に焼きついて離れない。
ダメだったんだ。
内診室から診察室に戻ると旦那も泣いていた。
黙って手を握ってくれた。
「がんばったよ、なっちゃんは悪くない」
あのエコー画面が迫ってくる。
ごめんなさい。
私がもう嫌だって言ったから、赤ちゃんがそっと静かに去っていったのかもしれない。
私を苦しみから解放するために、自ら流れていったのかもしれない。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
こんなお母さんでごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
診察の帰り、「なんか美味しいもの食べに行こう」って旦那とラーメンを食べる。
並んでいる間も思い出すと涙が出るので、努めて明るい会話をした。
そのあと、一人でコーヒーを飲みに出かける。
家にいるとメソメソしてしまう。
妊娠してから我慢してたコーヒー。
コーヒーを飲みながら、ぼーっとする。
プレッシャー、不安、制限された生活から解放されて、本当は少しホッとしている自分に気付いた。
ねえ、なんでホッとしてるの。
とてつもない罪悪感、後ろめたさを感じる。
子供が欲しいと望みながら、子供ができたことによって制限されるその先の生活を思うと、本当は嫌だって思っていたのかもしれない。
ごめんなさい。
ちょっとしばらくは休ませてもらおうと思う。
人生を考えさせてくれた赤ちゃん。
産んであげられなくてごめんなさい。
でもわたしの元に来てくれてありがとう。
1ヶ月間であなたが私に伝えてくれたこと、じっくり考えたいと思う。
健診日までの不安
『体調の良いうちに夫婦二人の思い出作りをしておくのもオススメ』
某妊娠雑誌にそう書かれていた。
安静にしててもしてなくても出血は止まらないし、気が滅入ってくるので、外に出かけたかった。
最近旦那ともギクシャクしてしまっているので、気分転換に映画でも行こうと誘ってみた。
旦那からも「いいねー」と好反応が返ってきて嬉しかった。
映画を見て、さびき釣りに出かけ、外食した。
その途中から腹部に違和感があった。
下腹部がとても痛い。座っているのもしんどく、何度も姿勢を直す。外食の途中だったが「お腹痛いから帰ってもいい?」と急遽帰ることにした。
家に向かう車では座席シートを倒して横になったが周期的に下腹部が痛くなる。
「痛い痛いー」と声が出てしまうような痛さ。
いつもの生理痛の数倍痛かった。
その日も出血は多く、以前のようなコアグラも数回出ていた。
『でも前回も大丈夫だったし、きっと今回も大丈夫だろう。』
『土曜日だから病院もやってないし、週明けに受診予定あるから様子見てみよう。』
帰宅してからはすぐベッドで横になった。
無理しすぎたかなーって思った。
疲労感からすぐに眠ってしまった。
翌朝、猛烈な下腹部痛で寝返りすらできなかった。
旦那は朝釣りに行くと言っていたが、涙を流して異常に痛がる私を見て「釣り行かない方がいい?」と聞いてきた。
状況見て考えてほしい。こんなに痛いんだから何かあったらどうすんの?
って思ったけど、痛すぎて何も言えない。
そして、極論を言えばどんなにしんどくても旦那がいるからって解決するわけじゃないから、もうこの際釣りに行こうが行かまいが関係なかった。
「釣り行く前に痛み止め持ってきて」
起き上がりすらできず、ベッドまでコカールを持ってきてもらう。
内服して30分くらいするとトイレに行けるくらいに痛みが落ち着いた。
こんなに痛かったら陣痛ってどんだけ痛いんだろうって、「出産」が急に怖くなった。
それからも出血は続き、日中も夜用ナプキンを3回ほど交換するレベルで大量に鮮血が出続けていた。
今になって思えば、あれは本当に陣痛だったと思う。
あの時に子宮の中の全てのものが外に出てしまったのだろう。
心配だけど、次の健診まではとにかく待つしかないと思い、不安の中、健診日を待つ。