追い詰められる
その後も出血は増え続け、全く止まる気配がない。
最初は茶色いカスカスのおりものが下着につく程度だったが、やがておりものシートいっぱいにつく様になり、昼用ナプキンを使い始めた。
病院に念のため出血していると連絡をするも、「妊娠後期になったら子宮頸管を縛って赤ちゃんが出てこないようにするとか、そういう処置はできるけど、今の段階では正直できることがない。止血剤を飲んで安静にするしかない。」
と言われ、そこからは仕事もデスクワーク中心にしてもらい、家ではトイレと食事以外は極力横になって過ごしていた。
しかし、それもたっぷり鮮血がつく様になり、日中でも夜用ナプキンを使った。
仕事終わりは毎日下腹部が重く張っている感じがして、地下鉄の駅から家まで歩いて帰るのが億劫になっていった。
不安は常にすぐそばにいて、脅かしてくる。
妊娠初期 出血
妊娠初期 切迫流産
下腹部痛 張り
気がつけば検索魔になっていた。
旦那には「なるようにしかならないんだし、あんまり調べすぎも良くないから止めな」と言われる。
でも止められなかった。
「男のあなたには分からないよね!」
「結局こんなに不安になってるのって私だけじゃん!」
「安静にしてても血は止まらないし、どうしたらいいの...つらい」
とムキになって喧嘩も増えた。
不安をもらしても「みんな通る道なんだから」「しょうがないじゃん」とため息をつかれる。私の不安なんて到底分かってもらえない。
次第にメソメソするようになり、布団に入ると勝手に涙が流れてしまう。
だんだん孤独感を感じるようになり、あんなに嬉しかった妊娠が辛く、重く、プレッシャーとしてのしかかる。
出血は続き、貧血もひどくなる。
悪阻も始まり、一日中気持ち悪い。
動きたくても動けない。けど、家事もだらけてるって思われてるんじゃないか。
仕事も休み、無力感に襲われる。
お前は何もしてない。
お前は何も頑張ってない。
すぐだるそうにしやがって。
ほんとはそんなに体調悪くないんだろ。
不安でかまってほしいだけなんだろ。
そう、自分で自分を責めるようになってしまった。
つわりでご飯も喉を通らず、体力が徐々に落ちているのを自覚した。
マタニティブルーで検索をする。
『旦那に"だらけてなんてないよ、赤ちゃんを育ててるんだから頑張ってるよ"と励まされました』
『マタニティブルーなのと旦那に話すと"じゃあオレは妊婦の味方、マタニティレッドね"と笑わせてくれた』
うちはこんなんじゃない。
旦那は優しい一言もかけてくれない。
きっと私にうんざりしてる。
きっと妊娠なんかしなきゃ良かったって思ってる。
そのうち家に帰ってこなくなるかもしれない。
ああもうだめかもしれない。
耐えられない。
つらい。誰にも分かってもらえない。
一番分かってほしい旦那に理解してもらえない。
もうこんなことなら一人になりたい。
夜も眠れなくなる。
涙が止まらない。すぐに泣いてしまう。
旦那のため息。
悪循環だった。
もうこんな生活耐えられない。
逃げてしまいたい。
そう思ってしまった。
綱渡り
その翌日、トイレに行って立ち上がった瞬間、生理のようなどろっとした経血が垂れてくる感覚があり、トイレットペーパーで拭き取る。
すると、コアグラ様の3,4cmの塊がそこにあった。
「どうしよう...赤ちゃん出たかもしれない...」
一気に血の気が引いた。
たまたま休みだった旦那に血の塊を見せると「病院行こう。送ってくから。」と冷静に対応してくれた。
動悸が止まらなかった。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。
病院に電話する手が震えた。
病院からはとりあえず診察するのですぐきてくださいと言われ、塊もジップロックに入れて持っていった。
「うーん。そうですか。内診しましょう。」
内診台に上がる。
いつもはワクワクしているけど、今日は祈る様な気持ちで、生きた心地がしなかった。
「あ、赤ちゃん大丈夫だね。元気。」
「ここ。心臓も元気に動いてる。」
胎嚢の中で心臓をピコピコ動かしているのが見えた。
「良かった...」
物凄いため息が出た。
良かった。良かった。無事だった。
そのあと先生からは「まあ、出血あるからまだ安心はできないね。でもね、流れちゃう時は流れちゃうから。それは赤ちゃん次第だからしょうがないことだからね。」と言われる。
助産師さんから「良かったね。一人で心配だったよね。不安だったね。」と背中を撫でられた。
今まで我慢していたものがわーっと堰を切ったように溢れて、エンエン声を出して泣いた。
不安だった。心配だった。
でも大丈夫だった。
綱渡りの妊娠生活。
こんなはずじゃなかったと思った。
増える出血
6月中旬、心拍も確認できたので職場のスタッフに報告する。
近しい友達にもちょっと早いかなと思いながらも報告する。
みんなみたいに早くお母さんになりたかったから、追いついた気がして、嬉しかった。
職場のスタッフからは「おめでとう!」「身体大事にね!」と言われ、とても大切に守ってもらった。
お腹に力のかかる移乗介助や、匂いが気になるオムツ交換など、全て業務から外してくれた。
まだつわりもなく、体調も安定していたが、出血は相変わらず続いていた。
心拍確認後に妊娠届を役所に出して、母子手帳をもらってくるように説明された。
母子手帳交付時、出血が続いていることを保健師さんに相談したところ、「休むべきだよ」と諭されたが、「そうは言っても...」と思い、なかなか職場には言い出せなかった。
初回の妊婦健診で各種検査を行った。
出血量は増えており、先生も「うーん。」と首を傾げていた。
あ、これは正常ではないんだなって思った。
感染予防に子宮口に抗生剤の軟膏を塗ってもらう。
採血の時に助産師さんに「お腹痛いとかない?」と聞かれる。
「今のところないです。...あの、やっぱり出血あるのってまずいんですか?」と尋ねると、「普通は出血ないからね。でも私も初期に出血したけど、無事に産んだから大丈夫。ただ、無理はしないで。仕事休めるなら休んでいいんだよ。」と肩を撫でてもらう。
出血あるのはやっぱりダメなんだ。
どうしよう。いつ止まるのかな。
不安がだんだん増えてきて、当初のウキウキがなくなっていく。
心拍確認
病院で妊娠反応確認した翌日。
病棟師長にだけ「この度妊娠しました。でも胎嚢も心拍も確認できないので、それが確認できたら職場の皆さんにも報告したいと思います。」と伝えた。
造影CTの介助やポータブルレントゲン撮影の介助にはやんわり入らずに過ごしたが、それ以外は普通に過ごし、夜勤もこなした。
翌週、病院で胎嚢確認。
その翌週には心音が確認できた。
ドップラーで初めて心音を聞いた。
ドンドンドン。
こんなに小さいのにこんなに力強く心臓を動かしてる姿に「ああ、この子、生きてるんだ。」と、命がここにあるんだと実感した。
その力強い生命力にジーンとして涙が出て、とてもとても愛おしく感じた。
同席していた旦那も心音を聴いて「良かった」とホッとしていた。
その頃から茶色いおりものが断続的に出るようになっていて、おりものシートを使い始めた。
内診後はよくあることらしい。
念のため止血剤のトランサミンを処方され、血が出る時は内服するよう指示された。
まあ、この程度の出血はよくあることだし、大丈夫だろうと思っていた。
妊娠発覚
6月上旬、生理はいつも予定通りくるはずなのに今回は来る気配がない。
というのも、生理前になるとイライラしたり、胸が痛くなったり、鈍い下腹部痛がしたり、大体「あ、そろそろ来るな...」というサインが自分なりにあるが、それが全くない。
その代わりにひどい肌荒れで鼻の下に大きなニキビができた。異常に汗をかきやすく、地下鉄に駆け込んで乗車したら汗が止まらず、職場についても汗が全く引かなかった。
これは変だなと思っていた。
結婚後はいつ赤ちゃんができてもいいと思っていたが、全然できず、1年半が経っていた。
お互い今年で29歳。そろそろまずいと思い、不妊治療クリニックに行こうという話もしていた。
そんな中での生理の4日遅れ。一抹の期待を込めて妊娠検査薬を使ってみる。
尿をかけるとすぐに陽性にくっきり線が出た。
嬉しさ100%ですぐに旦那に見せた。
すごく喜んでくれるかと思ったが旦那はわりと冷静だった。
「病院行かなくちゃね。一人で行ける?」
舞い上がっていた私は「大丈夫!今日休みだから午前中行ってくるね!」と早速病院へ行った。
窓口で「妊娠検査、お願いします」と言うと、検尿カップを渡された。
「はー、私もこれで妊婦さんだ」と何故かウキウキしていた。
「妊娠反応出てますね。妊娠しています。」
先生からはおめでとうとは言われなかった。
内診するが、受診が早すぎて胎嚢が確認できなかった。
「また来週来てください。ちゃんと子宮内にいるか確認しますから。あとこれ。これからこのノートは健診の時に持ってきてください。」
と言って健診ノートと、流産の割合を示したプリントを渡された。
お腹を抱えて泣いているお母さんのイラストと天使になった赤ちゃんのイラストが書いてあった。
「妊娠しても20%の人は流産します。大体は染色体の異常で胎児側の問題です。こればかりはどうしようもない。胎盤が完成するまでは何とも言えないからね。」
と先生から言われたが、まさか自分が流産するとはとても思わなかった。
帰ってからすぐにそのプリントは捨ててしまった。
何も写っていないエコー写真を眺め、これからどうやって大きくなっていくのか、ワクワクしていた。
THE FOREVER YOUNG
私は結婚を機に、3月末で丸6年続けた看護師の仕事を辞めた。
これから2ヶ月くらいは仕事せずに少し気楽に過ごしたいと思っていたので、好きな事をとことんしようと思った。
そして昨日、THE FOREVER YOUNG(通称 エバヤン)を観に、久しぶりにライブハウスに行くことにした。
昔、といっても5年前くらいまでは、本当にしょっちゅう、自分でも呆れるくらいあちこちのライブハウスへ行っていたが、最近はすっかり行くこともなくなってしまっていた。
実に1年半振りのライブハウスだったこともあって、少しドキドキしていた。
入った瞬間から胸に込み上げてくるものがあって、地下のちょっと汚い廊下とか、薄暗い照明とか、ドリンク引き換えのチケットとか、「お目当てのバンドはどちらですか?」という問いかけとか、ズンズン胸に響く重低音とか、そういうのが全て懐かしくて、心地よかった。
「ああ、ここは私が本当に好きな場所だ」と泣くのを堪えなければいけないほど、自然と目頭がじんわり熱くなった。
エバヤンはいつも泣いてしまう。
あんたは頑張ってるよって認めてくれてるような気がして、イントロだけで衝動的にわーっと涙が出てくる。
「涙が出る時って言うのは、苦しい時も理不尽な時も、頑張って頑張ってて、でもそんなの誰にも認めてもらえなくて、心の中の器が溢れそうになってる時に、そんな時に誰かに心をノックされた時、その時に涙が出るんだ。」というMCで、まさに心をノックされ、またわーっと涙が溢れて止まらなくて、それからずっと泣いてしまった。
ライブ終わりに家に帰り、布団に入った。
耳鳴りがもわーんと続いていて、目を閉じても今日見たあの光景がまぶたの裏に焼き付いていて、「今日行ってよかったなー。」と思いながら、いつのまにか寝てしまっていた。
そして不思議な夢を見た。
夢では、仕事を辞めてからの生活を第三者的目線で見ていた。
カラオケボックスへ行ったり、飲み会をしたり、側から見たら楽しそうにしている私を眺めていた。
そんな中で、両親に
「なんで看護師辞めちゃうの?」
「資格があるのにもったいないよ。」
「働いたらそれなりの収入になるのに。」
と、普段周りから言われているような事を言われた。
(※ちなみにホンモノの両親は普段そんなこと言ってくるタイプではないよ)
カッとなった私は少し拗ねながら
「だって、分かんないんだもん。
自分がやりたいことが分かんないんだもん。」
と言っていた。
両親は黙って聞いていた。
続けて、
「看護師になりたいって言って、看護学校まで行かせてもらったけど、私、看護師って仕事を好きになれなかった。」
と。
「だってほら、病棟の中、認知症ばっかりじゃん。
夜中に『おーい、おーい』って声が聞こえて行ってみたら点滴抜いてたとか、転んでたとか、それ見つけたらインシデントレポートでしょ。
点滴嫌なら治療なんかやめて家帰れって思うけど、そうはいかない。
点滴抜いて血まみれになったパジャマとかシーツを交換するにも『やめろー!何すんだー!』って大暴れして殴る、蹴る、暴言を吐かれる。
手を引っ掻かれながら、腕も傷だらけになるんだけど、こちらは「ごめんなさいね、すぐ終わりますからねー。」と笑顔で対応し、決して手を出してはいけない。
食事も経口摂取できるようにって介助するけど、口から吐き出され、顔めがけてブーッ!て吐かれたり、スプーンとか皿とか投げられることなんてしょっちゅう。
認知症の患者家族なんて自宅には連れて帰らないし、そのくせ文句ばっかり言ってくる。
『抑制するな』『家ではご飯食べてたのに、入院したら食べれなくなったからこれは病院の責任だ』『家では一人でトイレに行っていたのに、病院で寝たきりにさせられた、こんなんじゃ家に連れて帰れない』そんなことばっかり言われる。
『ご自宅が難しいようならば、施設も探していきましょうね』って言っても全然動かない。
だって施設に入れたら月20万くらいかかるけど、病院に入れとけば後期高齢者だから医療費はその何分の一で済むから。
社会の嫌なところとかクソみたいなところを見て絶望しか感じないよ。
私のやってることって何か意味あるのかな。
結局どんなに頑張ってもこの人たちは元気になって家に帰ることもなく、ありがとうって言ってくれることもないんだーって、毎日毎日徒労感に襲われながら働くんだよ。
それに、女の社会だから、常に周りに気を遣わなきゃいけないのも嫌。
「あの子は自分の仕事しかしない」とか「全然気が利かない」とか陰でグチグチ言われる。
休憩室なんて悪口大会だよ。常に誰かの悪口言ってないと気が済まない人ばっかり。
自分が仕事したくないからって、何か頼まれたらすぐ機嫌悪くなる人もいるし。
こんなことをやってるうちに、ぽっきりと心が折れちゃった。
『こんなことしたくて看護師になったんじゃない』って思う。
でも、周りの看護師たちは割り切って上手にこなしてる。
みんなにはできるのに、私にはそれができなかった。
だから、それが一番辛かった。」
そう言った時点で目が覚めて、気がつくとうわんうわん泣いていた。
時計を見たら夜中の3時だった。
ああ、辛かったんだ、しんどかったんだ。
自分でも自分の気持ちをちゃんと分かってなかった。
そして、周りから
「看護師なんだからすぐ就職先見つかるよ」
「これから先お金かかるんだから、子供いないうちに稼いどかないとね」
と何気なく言われていた言葉も、実は心のどこかに引っかかっていて、うまく消化できていなかったことにも気がついた。
それからもしばらく嗚咽が止まらず、目が腫れるまで泣き続けた。
夢の中でこんなにもスラスラと言えたことに驚いた。
きっと昨日のライブでエバヤンに心のドアをノックされて、ドアを開けることができたんだと思った。
大袈裟かもしれないけど、多分そうだと思う。
心の中に、ぐるぐる巻きにして人目に付かないようにこそっと閉まってた"本心"を、引っ張り出して、私の代わりに捨ててくれたような感覚だった。
夢の中でも泣くなんてことあるんだね。
目が覚めて僕は泣いた。
銀杏BOYZかよって、ちょっと笑った。
そういえば今日のMCでも銀杏BOYZの話してたな。
ありがとう、エバヤン。
肩抱かれたわー。
ちょっとひと休みして頑張ります。